『幼年期の終わり』読もうとした 

 根本的に深層的に俺は愛国主義国粋主義者なのだろうな。でも絶対に反差別でありたいし「ネトウヨ」みたいにはなりたくない。おそらく根本に西欧諸国への劣等感からくるコンプレックスがある。中3あたりからだったと思う。中高一貫だったので、中3から世界史と政治経済を履修させられたのだが、それらの科目は俺の中の国粋主義的考えと劣等感を生み出した気がする。とにかく俺はポリコレ(ポリコレという表現が正しいのか自信がない、おそらく不要な誤解を生み出すだけな気もする)に毒されていない小説が読めなくなってしまった。昔の作品、特に海外のものはもう数年前みたく純粋には読めないかもしれない。つまらない考えが俺を殺している気がするけど、別に不幸だとは思わない。

 

 

 ところで『幼年期の終わり』は最初の数ページで読むのをやまてしまった。別にこの作品は反ポリコレでもなんでもないし、序盤でグダグダ語ったこととはおそらく何も関係ない。うまく言えないけど、当時のあの欧米中心主義、まぁ当時はそれが当たり前だったので主義とは言わずに当然の空気だろうけど、それを少しでも嗅ぎとってしまうと萎えてしまう。でも俺が嗅ぎ取ったそういう雰囲気的なものは国外の作品が大なり小なり内包しているので結局は自分の意識の問題な部分は大きい気はする。ただ俺が言いたいのは昔の作品になるにつれてその傾向が強いということ。


やっぱり国内作品のほうがいいのかなぁ。

『ゲームの王国』読んだ

 思ったことを徒然と。ネタバレはない。

 

 注目されてる人物が人間が完全にやめてて周りも全員狂ってる白夜行。そんな印象をはじめは受けた。
 やっぱり自分は個人的に最近の作品のほうが、洗練されてる感じがするのと新鮮さを強く感じるので好き。過去の名作から学んでるからこそ、それらを読んでいるときに感じるあの使い回された先の読める雰囲気とチープさを感じない。まぁ名作は楽しむというより「知る」って感じだもんね。
 しかし所々に「乱れ」を感じる。雑さというか、一貫性のなさ(これは前作の『ユートロニカのこちら側』でも感じた。わざとなのかという判別は難しい)がある。雑も味のある雑さじゃなくて、「ここ手抜きか?」「時間なくて適当にやった?」みたいな雰囲気がある。うまくいえないけどプロの作家の書き方と言うより、Twitterをみてる感じがする場面が多々ある。良い(ここで言う良いとは作者の個性や独特な比喩などの表現を駄目にせずに、それでいて表現をもっと昇華させ、雑さを削ることのできる経験の深いさま)編集者に巡り会ってほしい。
 ひとつ気になったのが、登場人物が血の通った「人間」であるというより話をすすめるための「記号」に成り下がっていると感じてしまったこと。プロットのための用意された登場人物という感じが強く伝わってくる。もちろんフィクションなんて全てそうだけど、うまくごまかして違和感なく自然な感じにできている作品は多いと思う。本作は残念ながらそうではなかった。原因はまぁいろいろあるだろうけど、一つは登場人物の外見的・身体的特徴を全く書いていないこと。
多数の視点でものごとが進んでいくという作品の仕組みも関係あると思う。あと、これは微妙なところだけど、考え方も生き方も何もかもぶっ飛んだ設定のキャラクターが多いことも原因かもしれない(俺はそれがこの作者の魅力の一つだと思うけど)。

 でも出来事主体で登場人物はそのための道具という感覚は強い。群像劇なのに群像劇じゃない。そもそもまず群像劇であるかどうかについても疑うべきではあるだろうけど。そういえば途中で日本人NPO視点が出てくるけど、あれの存在意義はなんだったのだろうか。ソリヤの人物とか性格について、この視点を通じて読者が深く知ることができるみたいなことはないし、むしろソリヤの過去の記述に嘘がないことを読者に証明するためみたいな意味合いの方が強そう。まじで存在意義がわからん。なんか見落としてる?
 ストーリーに対する感想はない。なぜならストーリーがないから。SF的要素に対しては……なんとも言えない。でもすこし面白いと思った。
 取材量はすごいと思った。貴志祐介にも全く引けをとらないというか。

 

 結局のところ、この本をめくる手を止めさせなかったがなにかというと①取材に裏打ちされた現実感と残虐性 ②,その現実感に対をなす非現実性とコメディさ ➂,先が全く読めない展開 ④キャラクターの頭のおかしさと彼らの哲学 ⑤,群像劇的手法 かな

 

 手放しで称賛するような作品かと言われると正直微妙かな。個人的には圧倒的に『ユートロニカのこちら側』のほうが好き。でも安定のクオリティ。積極的に人にすすめはしないけど読むべき作品だと自信をもって断言できる。読もうかなと思っているなら読んで後悔するような作品では絶対にないのでぜひ読んでほしい。そのうえで自分で評価を下せばいいと思う。

2020/11/22の日記

 久々に日記をつけます。今回の決意は固いのでしっかりと続けていきたいけど、あんまり気負ってもどうせ駄目だからまぁ気軽に書いていこうかなと。

 

 日記を書こうと思って一日を振り返ってみたら、驚くほど何もしてませんでした。そもそも一日どころの騒ぎじゃないと、最近の(というかここ数ヶ月)の自分の生活態度を考えてみると、まったく文化的な生活を送れていないことに気づいてしまいました。文化的な生活というと曖昧だしなんなら法学者が何十年も議論しそうな言葉ですけど、ここでの意味は①思考を巡らせている。②コンテンツに触れている。➂イベントに参加、もしくは発生させる。④学生的行動を取る。 の4つの要素をちゃんとこなしている生活のことです。
 まず①について、最近、自分は意識しないと思考を巡らせることができない人間だということに気づきました。もちろん普段生活をする中で無意識に頭を働かせたりすることは誰しもあると思うのですが、そういう表面的なものでなく例えば気になったものを考えて分析してみたり、②,④に関連して、作品の考察をしたり学問をしたりするということがめっきり減ってしまいました。なんというかとても頭が悪くなったような気がします。やっぱり頭使うのって大多数の人間にとっては面倒じゃないですか。自分ももちろん同じで、頭を使うにはきっかけが必要なのです。ところがそれがめっきり減ってしまっている。基本的に今の生活はボケーッとTwitter見てるか、やったことのないゲームの配信を見てるか(昔は心の底で配信を見ている人たちをバカにしていましたが、最近始めてしまいました)、World of Tanks(wot) というゲームをやってるだけなんですよね。wotが頭を使うタイプのゲームならともかく、そうではないので本当に頭を使っていない。
 次に②について、最近数カ月ぶりに読書をしたら登場人物を自分で想像するという当たり前のことに対してすら新鮮味を感じてしまったほどです。アニメすら見てない、映画もゲームも全然やってません。
 ➂は本当にそのままです。コロナ&友達いない引きこもり&金欠なのでイベントがありません。なぜなのかはよくわかりません。
 ④勉強全くしてません。一応医学部生なのにこれは非常にまずいです。あまりに勉強しなさすぎて自分が医学部の学生であることを忘れてしまいそうになります。留年は絶対にまずいのですが組織学は再試験になりました。落としたら留年なのでそろそろ勉強しなくちゃいけない。はぁ。

 

 何を書いていたか忘れてしましましたが、まぁ日記なんてこんなものでいいでしょう。自分は型にこだわって自滅することが多々あるので、適当すぎかなと思うくらいのほうがいいのかも。ああそうだ自分が文化的生活を遅れていないという話だ。どうすればいいのか……なんか改めて見るとうつの前兆みたいで嫌だな。とりあえずコンテンツには触れていきたい、イベントはまぁ無理だろ、勉強はしなくちゃ留年、バイトはしてもいいけど今は時期が悪いので保留。まぁだからコンテンツ触れていくかぁ。でもコンテンツって触れたいから触れるのであって触れようと思って触れるものじゃないよな。

 

まいっか。

おわり。

『LGBTを読みとく クィア・スタディーズ入門』

著者に対してここまで信頼感が芽生えた新書は本当に久しぶりな気がする。著者の知に対する誠実さ、また正しい知識が必要でありそれを提供することにひたむきな態度が伝わる。怒りではなく、あくまで事実のみに基づいている点もそうである。

差別や偏見に対して最も必要なのは知識であるというのは、本当にそのとおりだと感じた。「悪い人だから」、「ろくでもない人だから」というのはまぁあるかも知れないが、やっぱり、性的マイノリティのことを知らないけど、差別はしないし「同情」してるよみたいなスタンスの人が多いと思う。「普通」の押し付けについては自分もよく感じていた。一章でこの手の人々を手厳しく批判している様子を見て、もしやと思ったら、素晴らしい本だった。

性自認性的指向。言葉は聞いたことがあったが、改めて定義を知りトランスジェンダー(広義)と同性愛者が異なることも恥ずかしながら初めて知った。「セックスが女性で性自認が男性であるトランスセクシャルの人の性愛の対象が男性であった場合、その人はトランスジェンダーであり同性愛者である」。

はじめに「良心」でなく知識が必要であると述べ、語の説明をし、歴史的経緯を述べ、その過程で成立したクィアスタディーズの基本を述べ、その考えを応用するといった感じ。最後にこの本を基礎として、それに基づいて各論について詳しい書籍を紹介する。これは初学者必読な気がする。

今期ベスト新書かな

なぐり書き

久々に千と千尋の神隠し見てきたのでそれについて

 

ハクは多分もとの世界に戻れない気がする
環境問題はテーマの一つだろうな、くされ神含めて。ハクの川の埋め立て
でもやっぱり、最後に千尋がなに考えてるかは確信が持てない。ハクのこととか、両親が覚えてないこととか、夢みたいだったと思ってることか、でも髪留めだけは本物だとか、神隠しとか。周りから信じてもらえないかもってことをもう分かってて、それでもやっぱり懐かしさとか哀しさとか感じてるのかなぁ。不思議なことだったなぁ……っていう感じとか。例え悪いかもだけど修学旅行から帰ってきた日、久しぶりに家に帰ってきたときのあの呆然というか、興奮冷めやらぬというと少し違うけど、まだ実感がない(千尋の場合はなおさら)みたいなとことかなのなか?
あと、やっぱり感情が伝わってくるのがいい。人間の形してないキャラクター含めてな。カオナシ、スス、湯婆の部屋にいる顔だけのやつとか、何考えてるかが手に取るようにわかる。子供にもおすすめできる。本当に老若男女楽しめる

ユートロニカのこちら側

これも読みながら思ったことを殴り書きしたメモから

例えば、自分の街がハリケーンでめちゃくちゃになったときなんて書く?
「黄色い作業着を着た男たちが数か所でショベルカーを動かしているのがわかった。彼らが土を埋めているのか、あるいは掘り起こしているの、リードにはわからなかった。わかったのは、自分が18年間過ごした村が、永遠に失われてしまったという事実だけだった」おしゃれー

比喩が意味をなしてない。「群れからはぐれた小鳥のように、相手が目覚めるのを静かに待っている」って何???何か元ネタでもあるの?全くわからん。いや好意的に解釈しても詭弁の域を超えないのでは?

キザったくて、まどろっこしくて、結局何言ってるか全くわからないような空回りした比喩ばっかだけど、それがカチッとハマったときの快感ったらないな。「喜びは大げさに戸を叩いて玄関から入ってくるが、悲しみは孤独や絶望のように裏口から静かに忍び込んでくる。「やあ」と肩を叩かれたときにはもう遅い」

いやでも評価に値するか?これは賛否両論になりそう

この人SFじゃなくてもっと意味不明な文章書いてほしい。この本で一番良かった部分は、トイレの個室だけを誰も監視されない真の自分パーソナルスペースだと考えてる男が大便しながら4コマ漫画を書く場面の男の回想だよ。間違いない。
この人はそういう訳のわからないことをよくわからないやつが行うということを淡々と書いていてほしい

天才には天才を書いてほしい

第四章本当に面白い!!文章も良かった。オチはありきたりではあるけど、、、

章ごとの落差が大きすぎる。手のかけ方も多分違うんだろうなと容易に想像できる
5章とか文章適当すぎない?それとも主人公に合わせてわざとそうしてるの?慶応って書くのやめろや、慶應大学ってかけや、早稲田みたく統一しろや

 

確信した、これ絶対にわざとでは?わざとな気がしてきた。序盤のアメリケンな雰囲気の作品では、ウィットに飛んでるような雰囲気を醸し出してるけど、逆にB級作品みたいになってる。便所で4コママンガ書いてる話では男に合わせてきちんとした文章を。その次の大学生の話では慶應と慶応を何故か統一しない適当さ。文章の感じと短編の雰囲気の親和性が極めて高い。まぁ偶然に対する、オタクのキモい意味づけの可能性は十分にあって、なんなら作者が忙しかったから短編書いている時期が全く異なってたことに由来するみたいなことかもしれないけど、俺はこう解釈する。

6章は印象的だった。この作品のテーマをえぐり出した。
結局人間の意識とは何か?自由とは何か?ディストピアユートピアの違いって何、人はどう思ってるの?っていう問題に終始していた。
世界観を提示して、そこでイベントが起こるタイプ。世界観を提示して、そこと現在とのギャップやその世界が内在する問題、人々の価値観、それによって起こる様々な苦悩を描く作品。ディックなんかは後者だけど、世間で好まれるのは前者。この作品はもろに後者で、後者は哲学的でもあるから難しい。俺はディストピアものとよばれるジャンルが好きなんだが、前者は当たり外れが多いから一概に言えんが後者のほうがいいかもな。

なんだっけ、Twitterで少し前にバズってた「車のない時代では、車を発明することより渋滞を想像できる方がすごい」みたいな言説。まさにそのとおりで、後者のほうが圧倒的に難しい。

1章 イントロ
2,3章 人間的ドラマ
4,5章 本領発揮
6章 まとめ

 

これは久々の当たり。かなり好きなのでおそらく読み返すとおもわれる。

読んだ本とか②

『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』 山鳥

 残念な本。本当にちくま新書?いや新書の出版社ごとの特徴別に詳しくないけど、ブルーバックスの中高生向けにわかりやすく書かれた本だと思った。でも中高生向けっていうタイプの新書読む中高生は学習意欲高くて、他じゃ物足りないからそういう本を読んでる部分はあると思うので、この子供向けみたいな文体は裏切りだな。

 冗長。全く詳しくない。例えるなら大学の一般教養過程の科目をさらに中学生に向けて授業したものをもとに書いてる感じ。

 略せばいいのにっていう例えを延々とやってたりするの見ると、あぁこういう教員いるなぁって、中学生相手にしてんのかな?

 例えってなんのためにあるのか、ということについてもう一度考えるきっかけを与えるだろう

 著者が1939年生まれと聞いて納得。高齢になりすぎると一般向けの文章が中学生むけ、もしくは高齢者向けになりがちなので、これからは新書読むときに気をつけよう。著者の年齢が高すぎると買う価値なし。

 わかる=秩序づけ=エントロピーの減少=生命活動(シュレディンガー)の部分だけ面白かったけど本筋とはあんまり関係ない。

 

LGBTを読み解く クィアスタディーズ入門』森山至貴

 新書ってこうあるべきだなっていう見本みたいな本。こういう形の新書をこれからも読み進めていく。
①論の構成がしっかりしている
②本の全体像がしっかりしており、わかりやすい
③目的が明確である。
④初学者の学習の第一歩となるように配慮されている
⑤最後に文献の紹介
⑥事実を重要視している
➆比喩が的確、いらないことは書いてない、簡潔

 内容についてはあとで詳しくまとめたい。自分のために。これは良書。