ユートロニカのこちら側

これも読みながら思ったことを殴り書きしたメモから

例えば、自分の街がハリケーンでめちゃくちゃになったときなんて書く?
「黄色い作業着を着た男たちが数か所でショベルカーを動かしているのがわかった。彼らが土を埋めているのか、あるいは掘り起こしているの、リードにはわからなかった。わかったのは、自分が18年間過ごした村が、永遠に失われてしまったという事実だけだった」おしゃれー

比喩が意味をなしてない。「群れからはぐれた小鳥のように、相手が目覚めるのを静かに待っている」って何???何か元ネタでもあるの?全くわからん。いや好意的に解釈しても詭弁の域を超えないのでは?

キザったくて、まどろっこしくて、結局何言ってるか全くわからないような空回りした比喩ばっかだけど、それがカチッとハマったときの快感ったらないな。「喜びは大げさに戸を叩いて玄関から入ってくるが、悲しみは孤独や絶望のように裏口から静かに忍び込んでくる。「やあ」と肩を叩かれたときにはもう遅い」

いやでも評価に値するか?これは賛否両論になりそう

この人SFじゃなくてもっと意味不明な文章書いてほしい。この本で一番良かった部分は、トイレの個室だけを誰も監視されない真の自分パーソナルスペースだと考えてる男が大便しながら4コマ漫画を書く場面の男の回想だよ。間違いない。
この人はそういう訳のわからないことをよくわからないやつが行うということを淡々と書いていてほしい

天才には天才を書いてほしい

第四章本当に面白い!!文章も良かった。オチはありきたりではあるけど、、、

章ごとの落差が大きすぎる。手のかけ方も多分違うんだろうなと容易に想像できる
5章とか文章適当すぎない?それとも主人公に合わせてわざとそうしてるの?慶応って書くのやめろや、慶應大学ってかけや、早稲田みたく統一しろや

 

確信した、これ絶対にわざとでは?わざとな気がしてきた。序盤のアメリケンな雰囲気の作品では、ウィットに飛んでるような雰囲気を醸し出してるけど、逆にB級作品みたいになってる。便所で4コママンガ書いてる話では男に合わせてきちんとした文章を。その次の大学生の話では慶應と慶応を何故か統一しない適当さ。文章の感じと短編の雰囲気の親和性が極めて高い。まぁ偶然に対する、オタクのキモい意味づけの可能性は十分にあって、なんなら作者が忙しかったから短編書いている時期が全く異なってたことに由来するみたいなことかもしれないけど、俺はこう解釈する。

6章は印象的だった。この作品のテーマをえぐり出した。
結局人間の意識とは何か?自由とは何か?ディストピアユートピアの違いって何、人はどう思ってるの?っていう問題に終始していた。
世界観を提示して、そこでイベントが起こるタイプ。世界観を提示して、そこと現在とのギャップやその世界が内在する問題、人々の価値観、それによって起こる様々な苦悩を描く作品。ディックなんかは後者だけど、世間で好まれるのは前者。この作品はもろに後者で、後者は哲学的でもあるから難しい。俺はディストピアものとよばれるジャンルが好きなんだが、前者は当たり外れが多いから一概に言えんが後者のほうがいいかもな。

なんだっけ、Twitterで少し前にバズってた「車のない時代では、車を発明することより渋滞を想像できる方がすごい」みたいな言説。まさにそのとおりで、後者のほうが圧倒的に難しい。

1章 イントロ
2,3章 人間的ドラマ
4,5章 本領発揮
6章 まとめ

 

これは久々の当たり。かなり好きなのでおそらく読み返すとおもわれる。