ぷよぷよ頑張る

 自分がはてなブログで書いた記事を読んでいたら、文字のサイズもフォントも書式も日本語もすべてがぐちゃぐちゃで吐き気すら覚えるレベルだったけど別に自分が設定して変えているわけでなく勝手にそうなってしまっている。調べて治すのも面倒くさい。所詮その程度のものだと感じている節はあるので放置してる。それにこういうのは一旦凝りだすと際限なくなってしまうし、途中で妥協して結局時間を無駄にする可能性も極めて高いので。

 

 ぷよぷよは頑張る。

地域奨学金

 医学部にある奨学金の一つに自治体が行っている奨学金制度がある。卒業後一定期間その県内(市が行っているものもあるらしい)の僻地で勤務したら奨学金免除しますというシステムである。入学試験の段階でそれを条件に入学を決定する地域枠なんてものは聞いたことがある人は多いと思う。医学部を受けようと思った人なら少しは考えたことがあるかもしれない。

 自分の場合はもう医学部に入ってしまったが、お金がほしい(お金がほしい)ので入学後に申請できる地域奨学金について調べてみた。すると自分が小中高とずっと暮らしていた某県の申込みが、ちょうどすぐにあったので申し込もうと思ったが将来に関わる問題なので少し落ち着いて考えようと思っていたらいつのまにか締め切りが終わってしまっていた。しかし来年以降申し込む可能性はあるので少しだけメモ。一応県名はふせる(あんまり意味ないかもだけど)。

 

まとめ

 

・今年の1月(2021/01)に申し込んだ場合は

①初期研修を県内の病院でやる

②県内のガチ田舎の病院で2年以上勤務

③県の病院(二次救急以上のいわゆる大病院)で1年半以上勤務

④県の病院で②と③以外に2年間以上勤務。しかし俺が卒後も県で働くとなると、どうせそういった大病院の勤務医を望むと思うなので、まとめると

制約は

1, ガチ田舎で1年半以上勤務

2, 卒後、県ではたらくことが確定

この2点

 

制約1についての不明点

・ガチ田舎で一年半働くのがキャリアにどのような影響を与えるのか?

 ・後期研修の実態すら知らない←これは調べればいい

 ・自分の専門も狭められのではないか←専門の規定はないけど一応地方の人手不足解消って名目だし例えば精神科(今一番興味ある)とかは厳しそうか?

・ガチ田舎でいつ働くのか?

・やめられるか?

 

制約2についての不明点

・卒後県内で働く覚悟はできているか?

・いまいる場所(大学のある県)に愛着湧いたり、ないだろうけど海外で働きたいとなっても厳しい

 

結局のところ

①いまのところ医師のキャリアについての知識がないので自分の決定が「仕事上」将来の自分にどのような決定を与えるかわからない。でも地域枠は始まってからもう15年近く経っているし、その間に多くの人がこの制度を使ってきたはずなので、さすがに奨学金受給者が、著しくキャリアに関して不利益を被るってことはないと思うんだけど、どうかな……

②仕事以外のプライベートに関して将来の自分の決定が大幅に狭められる可能性は高い

③留年・退学は絶対にできない(これはデメリットではないけど)

 

将来の自分のチャンスや可能性を潰すことになりかねない選択ではある。月15万円がそれにみあった代償であるか?まぁ「Yes」な気はする。でも別に困窮しているわけでもない。ただ車がほしいってだけなのともう少しいい生活送りたいこと。一人暮らしは国立でも結構お金かかるから、親にあんまり負担かけたくない身としては、なんだかんだ生活の所々で妥協せざるを得ない。でもその妥協がなかなか厳しい。あとは田舎だから時給低すぎるのもクソ。

そもそも書類審査と面接を通らなくちゃいけないが、募集が集まらなくて2次募集やっているくらいだし行けそうな気はする。まぁわからん

 

来年次第

『虐殺器官』のアニメ映画を見直した

 原作読んでない人絶対わからないだろうから糞(意訳)と原作厨言うたびに、う~んとなる。俺は別にアニメ初見の人を置いてけぼりにしても、ある程度はいいのではないかと思う。究極、いくら初見が置いてけぼりといっても最低限作品としての体をなしていれば良いとすら思う。尺の関係があるから、アニメ初見の人に合わせて原作から改変するか、アニメ初見に不親切で原作好きにすり寄るかしかない。前者の場合アニメ自体が原作厨から叩かれてしまい評価が下がって結局初見が寄ってこなくなる可能性がある。一方後者の場合、上に書いたようなことを指摘されるかもしれないが、あーいうこと言ってるやつはろくでもない無責任野郎なのでOK(ごめんなさい)。

 この作品はアニメ初見じゃ細部の理解が厳しいかもしれないので原作を読んでほしい。でも決してアニメも駄作じゃないし、単体として見ても素晴らしい出来栄えだと感じる。自分も原作を読んだのがもう5年近く前なのでほとんど初見みたいなものだけどそれでも覚えている範囲内で語るとやっぱりラストのシーンはやっぱり本で読んだほうがいいと思う。

 この作品の続編(舞台設定だけ)だと考えられている『ハーモニー』は海外の何のの賞をもらったらしいけどこの作品は無理だろうと思う。作品的な良し悪しとかの問題じゃなくてアメリカが舞台で主人公がアメリカ人だから。

 ここからは関係ない自分語りだけど、海外のTwitterとかRedditとかをここ一年くらいかなり見るようになってから歪曲された日本の像、それは日本人が大好きな外国人から見た日本じゃなくて、ステレオタイプオリエンタリズム的な差別的見方とが混じってるようなやつをさんざん見てきて、さらに誤った日本の知識をトリビア見たく広められている様子を見てとにかく海外から見た日本が嫌いになった。
そのせいで逆の日本人が描く海外ってのも好めなくなってしまった。『ゲームの王国』は別ね。

『幼年期の終わり』読もうとした 

 根本的に深層的に俺は愛国主義国粋主義者なのだろうな。でも絶対に反差別でありたいし「ネトウヨ」みたいにはなりたくない。おそらく根本に西欧諸国への劣等感からくるコンプレックスがある。中3あたりからだったと思う。中高一貫だったので、中3から世界史と政治経済を履修させられたのだが、それらの科目は俺の中の国粋主義的考えと劣等感を生み出した気がする。とにかく俺はポリコレ(ポリコレという表現が正しいのか自信がない、おそらく不要な誤解を生み出すだけな気もする)に毒されていない小説が読めなくなってしまった。昔の作品、特に海外のものはもう数年前みたく純粋には読めないかもしれない。つまらない考えが俺を殺している気がするけど、別に不幸だとは思わない。

 

 

 ところで『幼年期の終わり』は最初の数ページで読むのをやまてしまった。別にこの作品は反ポリコレでもなんでもないし、序盤でグダグダ語ったこととはおそらく何も関係ない。うまく言えないけど、当時のあの欧米中心主義、まぁ当時はそれが当たり前だったので主義とは言わずに当然の空気だろうけど、それを少しでも嗅ぎとってしまうと萎えてしまう。でも俺が嗅ぎ取ったそういう雰囲気的なものは国外の作品が大なり小なり内包しているので結局は自分の意識の問題な部分は大きい気はする。ただ俺が言いたいのは昔の作品になるにつれてその傾向が強いということ。


やっぱり国内作品のほうがいいのかなぁ。

『ゲームの王国』読んだ

 思ったことを徒然と。ネタバレはない。

 

 注目されてる人物が人間が完全にやめてて周りも全員狂ってる白夜行。そんな印象をはじめは受けた。
 やっぱり自分は個人的に最近の作品のほうが、洗練されてる感じがするのと新鮮さを強く感じるので好き。過去の名作から学んでるからこそ、それらを読んでいるときに感じるあの使い回された先の読める雰囲気とチープさを感じない。まぁ名作は楽しむというより「知る」って感じだもんね。
 しかし所々に「乱れ」を感じる。雑さというか、一貫性のなさ(これは前作の『ユートロニカのこちら側』でも感じた。わざとなのかという判別は難しい)がある。雑も味のある雑さじゃなくて、「ここ手抜きか?」「時間なくて適当にやった?」みたいな雰囲気がある。うまくいえないけどプロの作家の書き方と言うより、Twitterをみてる感じがする場面が多々ある。良い(ここで言う良いとは作者の個性や独特な比喩などの表現を駄目にせずに、それでいて表現をもっと昇華させ、雑さを削ることのできる経験の深いさま)編集者に巡り会ってほしい。
 ひとつ気になったのが、登場人物が血の通った「人間」であるというより話をすすめるための「記号」に成り下がっていると感じてしまったこと。プロットのための用意された登場人物という感じが強く伝わってくる。もちろんフィクションなんて全てそうだけど、うまくごまかして違和感なく自然な感じにできている作品は多いと思う。本作は残念ながらそうではなかった。原因はまぁいろいろあるだろうけど、一つは登場人物の外見的・身体的特徴を全く書いていないこと。
多数の視点でものごとが進んでいくという作品の仕組みも関係あると思う。あと、これは微妙なところだけど、考え方も生き方も何もかもぶっ飛んだ設定のキャラクターが多いことも原因かもしれない(俺はそれがこの作者の魅力の一つだと思うけど)。

 でも出来事主体で登場人物はそのための道具という感覚は強い。群像劇なのに群像劇じゃない。そもそもまず群像劇であるかどうかについても疑うべきではあるだろうけど。そういえば途中で日本人NPO視点が出てくるけど、あれの存在意義はなんだったのだろうか。ソリヤの人物とか性格について、この視点を通じて読者が深く知ることができるみたいなことはないし、むしろソリヤの過去の記述に嘘がないことを読者に証明するためみたいな意味合いの方が強そう。まじで存在意義がわからん。なんか見落としてる?
 ストーリーに対する感想はない。なぜならストーリーがないから。SF的要素に対しては……なんとも言えない。でもすこし面白いと思った。
 取材量はすごいと思った。貴志祐介にも全く引けをとらないというか。

 

 結局のところ、この本をめくる手を止めさせなかったがなにかというと①取材に裏打ちされた現実感と残虐性 ②,その現実感に対をなす非現実性とコメディさ ➂,先が全く読めない展開 ④キャラクターの頭のおかしさと彼らの哲学 ⑤,群像劇的手法 かな

 

 手放しで称賛するような作品かと言われると正直微妙かな。個人的には圧倒的に『ユートロニカのこちら側』のほうが好き。でも安定のクオリティ。積極的に人にすすめはしないけど読むべき作品だと自信をもって断言できる。読もうかなと思っているなら読んで後悔するような作品では絶対にないのでぜひ読んでほしい。そのうえで自分で評価を下せばいいと思う。

2020/11/22の日記

 久々に日記をつけます。今回の決意は固いのでしっかりと続けていきたいけど、あんまり気負ってもどうせ駄目だからまぁ気軽に書いていこうかなと。

 

 日記を書こうと思って一日を振り返ってみたら、驚くほど何もしてませんでした。そもそも一日どころの騒ぎじゃないと、最近の(というかここ数ヶ月)の自分の生活態度を考えてみると、まったく文化的な生活を送れていないことに気づいてしまいました。文化的な生活というと曖昧だしなんなら法学者が何十年も議論しそうな言葉ですけど、ここでの意味は①思考を巡らせている。②コンテンツに触れている。➂イベントに参加、もしくは発生させる。④学生的行動を取る。 の4つの要素をちゃんとこなしている生活のことです。
 まず①について、最近、自分は意識しないと思考を巡らせることができない人間だということに気づきました。もちろん普段生活をする中で無意識に頭を働かせたりすることは誰しもあると思うのですが、そういう表面的なものでなく例えば気になったものを考えて分析してみたり、②,④に関連して、作品の考察をしたり学問をしたりするということがめっきり減ってしまいました。なんというかとても頭が悪くなったような気がします。やっぱり頭使うのって大多数の人間にとっては面倒じゃないですか。自分ももちろん同じで、頭を使うにはきっかけが必要なのです。ところがそれがめっきり減ってしまっている。基本的に今の生活はボケーッとTwitter見てるか、やったことのないゲームの配信を見てるか(昔は心の底で配信を見ている人たちをバカにしていましたが、最近始めてしまいました)、World of Tanks(wot) というゲームをやってるだけなんですよね。wotが頭を使うタイプのゲームならともかく、そうではないので本当に頭を使っていない。
 次に②について、最近数カ月ぶりに読書をしたら登場人物を自分で想像するという当たり前のことに対してすら新鮮味を感じてしまったほどです。アニメすら見てない、映画もゲームも全然やってません。
 ➂は本当にそのままです。コロナ&友達いない引きこもり&金欠なのでイベントがありません。なぜなのかはよくわかりません。
 ④勉強全くしてません。一応医学部生なのにこれは非常にまずいです。あまりに勉強しなさすぎて自分が医学部の学生であることを忘れてしまいそうになります。留年は絶対にまずいのですが組織学は再試験になりました。落としたら留年なのでそろそろ勉強しなくちゃいけない。はぁ。

 

 何を書いていたか忘れてしましましたが、まぁ日記なんてこんなものでいいでしょう。自分は型にこだわって自滅することが多々あるので、適当すぎかなと思うくらいのほうがいいのかも。ああそうだ自分が文化的生活を遅れていないという話だ。どうすればいいのか……なんか改めて見るとうつの前兆みたいで嫌だな。とりあえずコンテンツには触れていきたい、イベントはまぁ無理だろ、勉強はしなくちゃ留年、バイトはしてもいいけど今は時期が悪いので保留。まぁだからコンテンツ触れていくかぁ。でもコンテンツって触れたいから触れるのであって触れようと思って触れるものじゃないよな。

 

まいっか。

おわり。