読んだ本とか

『凡人として生きるということ』押井守

 「社会」についていろいろ語ってるけど、「社会」が何か全く知らないしわかってないので、へぇーまぁそういうことも言えるかもな程度の感想しか持てない。
 文明化についてはそのとおりかもと思った。性の商品化は文明化の一部。この流れが海外ではひどく嫌われていて、たぶんそのうちに日本も結局変わっていくとは思った。
 2008初版らしいけど、もう古い!!こういう社会系の本は10年前の考えとか価値観ですら、うわーって思うことがある。
 まぁ結論としては、こういう本読むならもうちょっとちゃんと自分が知っていて尊敬できる人のほうが良かった。それかもっと一つノーマに対して掘り下げてる本。もしくはちゃんと分析している本。何かの分野の有名人が文化人的にいろいろなことを糾弾する。みたいなのやっぱり駄目だな。映画監督でもそうだ

 

アスペルガー症候群岡田尊司

 自分はアスペルガーじゃないのでこの本読んでて、これ俺じゃん!!!ってなることはないし、アスペルガーの知り合いもそんなに多くないので、こういう人もまぁいるよねくらいの感覚になってしまった。
 まぁ勉強にはなったがTHE新書って感じ。物足りなさがある人はもっと専門的な本か論文読んでねって感じ。
 自分は結構物足りなさを感じてしまった。とりあえずいろいろ世間で言われているけど医学界ではこんなです、みたいなのをまとめてみましたといった装い。検索候補に出てくるあのくだらない「〇〇について調べてみました」というタイトルのブログの専門的なバージョンと言ったところ。
以下の2点は面白かった
自閉症の患者の脳の扁桃体と呼ばれる部位が小さいときに異常に大きくて、神経細胞がかなり多い。それが成人機になると周りに比べて相対的に小さくなる。これは神経細胞が詰まりすぎていてネットワークの発達が悪くてうまく働かずに、萎縮するためではと?
扁桃体は感情や社会性に関係がある部位

アスペルガーとか自閉症は目の写真を見せても扁桃体が働いてない(一般人は働く)むしろ内側前頭葉が働いた。(内側前頭葉はものを認識するときに働く)

アスペルガーとか自閉症は目を社会性な情報としてでなく、単なる図として処理してることを推測される

 

『女たちのサバイバル作戦』上野千鶴子

 面倒なのでメモ帳に書いてあったことを本当にそのまま書く。

 書いてあることに詳しくないので、へぇそうなのかという感じ。反対側からの意見も仕入れたほうがいいのだろうけど、まぁこの本読んだのはフェミニズムについて知るためだったのでそこはいいや。
 怒るってエネルギーいるけどやっぱり怒ることは必要だと感じた。それを先人切ってやってくれてる人には感謝しなといけないのかもしれない。

 フェミニズム論争が個人の問題に帰着しすぎてるのネット見てて思った。もっとシステム的なこととかを俯瞰してみたかったので良かった。

 極端な思想の持ち主は思い込みが強いなぁとよくよく感じるけど、まぁそういう人たちもやっぱり必要だなと感じた。

 アメリカとかでもフェミニズム叩きはかなり凄かったらしくて、90年代ね。日本だと20年近く遅れてるわけだけど、フェミニズム叩きが始まったのはフェミニズムが力をつけたからだよな。そう考えると、今アメリカとかが戦ってるのってもちろんフェミニズムもそうだけど性的マイノリティの戦いのほうが過激なわけ。そう考えると次にくるのは性的マイノリティーとの戦いだと思うよ。欧米が性的マイノリティーの権利をどんどん増やしていって、外圧で日本もどうにかしなくちゃいけなくなって、そろそろどうにかしませんかって時に、上野千鶴子とかじゃないけどネット上で「叩きやすい」性的マイノリティが現れ始めてからが勝負だと思うんだよね。これも20年遅れで起きるんじゃないかな?

 今の日本は声が小さすぎて戦いになってないから。フェミニズムは戦いになってるだけ進展が大きいってことだし。

 controversial な問題についての本を読んだりする時ってさ、新しい考え方を知るために読むっていうより、自分の中にある考えを補強するために読むって言う色合いのほうが強いかもしれないなぁ〜って。

 システム的な、つまりマクロな観点でいうとやっぱり声を上げることが大切。でも個人の観点で行くと企業に期待せず自分の場所をキャリア以外に持つことが大切。それら育児もふくめその他のことも。もうジャパニーズトラディショナルカンパニーじゃあ無理だから……あきらめて別の居場所を作れと。

 沈没していく日本社会でのサバイブ……あとがきが素晴らしい。新書読むの決めるのあとがきからがいいかな。

 少し古いけど(いうて7年前)、データを用いて歴史を振り返る様は正直かなり勉強になった。偏っているというのも含めて勉強になった。偏った意見を知るということも勉強になるなぁと。

文学の授業

オンライン形式で一応双方性を確保するみたいな名目で毎回授業のリアクションを書かせられるうえに、大学のLMS上に感想を書くシステムなので他の人が何を書いているかがわかるのだが、みんなたくさんの決意してて笑う。バカにしてるわけじゃなくて驚いた。うちの大学の近辺には決意で文章を締める宗教でもあるのか?

で、文学の授業。「物語を深く読んでみたいです」、とか「これからは大人の読み方をしたいです」とか、「楽しい、面白い以外の読み方をしてみたいです」とか言ってる人ばかりでビビった。作品を楽しむって、そういう行為を楽しむことじゃないの?いや、作品の楽しみ方なんて人それぞれだろうけど、自分は強くそう思ってる。作品の構造とか登場人物の深い心理とか、アニメだったら背景とかアニメーションとかの構造。文章だったら、地の文を深く考えたり。そういうのを現実の世界とか自分と対比させたり、比べたりして考えたりするのが物語を楽しむってことなのに、そんなことしたことなくて、これからは頑張りますみたいなアホみたいな決意してる人しかいないの悲しい。
ここまですごい偉そうに言って、じゃあお前できてるのかって言うと、まぁ批評家というかネットのブログでガチで長文書いてたりする人には敵わないけど、でもそういう行為を楽しんではいる。
自分の文章力のなさと見識の低さゆえの見逃しとかに、嫌になることは多いけど……

あと個人的に気に食わなかったのは最終レポートの書き方について。おそらく学生のレベルを考慮して+新入生だからっていうことだろうが、「物語の考察をするのに自分の言葉を使わずに、ネットを駆使してこれだと思った言説を拾って繋ぎ合わせろ」、「それに自分の言葉で脚色しろと」とかいう書き方を勧めてきたのがやるせなかった。右も左も分からない新入生の作品考察なんて読めたものじゃないだろうし、文学部がうちの大学に存在しないしから、所詮作品の考察ができるようにというより、そういう楽しみを紹介するレベルだったといえばそれまでだが、なんか違くない?って感じた。

個人的には作品の考察は自分で確固たるものが言語化できるまで、他の人の言説を絶対に読みたくないと思ってる。前にも書いたが、他の人の考えに影響されてしまって自分が本当にどう感じていたかがブレるのが嫌だ。

一人旅の記録 8/1~2

当時、メモ帳に書いていたことをそのまま貼る。大学名とか面倒だしいいや

 

一日目

英語の試験が出来なかった、おそらく落とした。再試験確定。そのうえ切れると思ってた全教の英語も医学部医学科だけはそのような措置が存在しないため来期受けざるを得なくなってしまった……本当に萎えた。

取り敢えず試験期間中に自粛していた映画鑑賞に向かうべく大学寮から一番近い映画館コロナワールド(今となっては可哀想な名前である)に向かった。ここで今月三度目10日ぶりの『千と千尋の神隠し』を視聴。

観客が俺とアニメに縁のなさそうな男子高校生4人組。映画が始まる前の広告でもそれなりに騒いでいたのでかなり緊張感がはしる。今までの2回はどちらも俺以外の観客は一人で見に来てる人がいるかいないか程度だったので落ち着いて見れた。しかし今回は厳しいかも……。集中できなかったらやだなぁーっと思ってたが怖くて何も言えなかった。幸い分別はあるのか、上映中に喋るということはしてなかった。ただポテトチップスを食べてるのかガサゴソうるさかった。それくらいはまぁ仕方ないけど……。

内容はもちろん良かった。だんだんと解釈の段階に入ってるのがわかる。やっぱり完全に満足するまで感覚で楽しんでから、物語について熟考するっていうプロセスが俺の中にあり、それが作品の楽しみ方だと確信した。最初に感覚だけで楽しむことは絶対に必要。たとえるなら暑い夏にプールにダイブしてキモチーって叫ぶ感覚。あのプロセスを出たあとで何故気持ちいいのかについて、いろいろ思考を働かせる。

映画館でたあと狭い寮の部屋で一人、酒を飲もうかと思ったけど頭おかしくなりそうだったので、とりあえず寮から脱出することを考え、水族館に行きたかった事を思い出し検索すると、三重県鳥羽市に日本一の飼育数を誇る水族館があるといい即決で直行。映画館の最寄りからワンマン運転の単線、養老鉄道に1時間ほど揺られて桑名で乗り換え(乗り換えの仕方わからなくて失敗したことは秘密)。そこから近鉄三重県の県庁所在地、津へ行く。電車にのってる途中で浴場があるビジネスホテルを予約。近鉄に揺られてる間グーグルマップを見たら三重大学が県庁所在地津からめちゃくちゃ近いことを発見。三重大学受験すればよかったと一瞬後悔。大学前に吉野家があるだけで弊大学の数十倍優れてる。

そんなこんなで津に到着。チェックインを済ませ、急いでコンビニに行きお酒と夜ご飯とツマミを購入し、貸し切りの浴場で汗を流し準備完了。金曜ロードショーでやる『聲の形』を視聴する。コロナワールドでは『聲の形』の特別再上映してるため『千と千尋の神隠し』と迷ったが、結局見なかったので、金ローを楽しみにしていた。内容は……うん。長くなるからあんまり言わないけど、漠然とした違和感とうまく言語化できない感情が渦巻いてなかなか……って感じ、今度機会があればちゃんと見たいってのはある。ノーカット&課題やりながらではなく作品に集中して。
この日は結構疲れたし、明日もいろいろ予定あるのでそんな感じで就寝。

二日目

朝起きて朝ごはんを食べる。コロナ対策のためビュッフェ形式でなく、お弁当が渡されたwまぁ別に何でもいいかって感じで飯を済ませ、いざ鳥羽水族館へいく。
特急列車しかなかったので運賃が1790円もした、伊勢神宮あるからって足元見やがって……嘘です、もう少し朝早く起きてたら普通の電車も乗れた。
ただ特急列車は流石というべきかめっちゃ快適だった。

鳥羽水族館。めっちゃ良かった。魚こんなに間近で見れたの感動したし、可愛かった。ただ途中からちょっと混んできちゃったのが残念。あとアシカのショーはクオリティが低めなのと、北海道のくま園で、りんごをせがむ飼いならされたくまを思い出していろいろと複雑になった。もう動物ショーを昔みたいに楽しむことは出来ないだろうな……

そのあとはいろいろ回ったけど、アシカショー以前に比べて人の数とか多くてなんかちょっと残念な感じあった。カワテブクロっていうヒトデが気持ち悪かったけどそれくらい。

そのあとは鳥羽駅すぐ近くの店で1680円の海鮮食べた。野菜が美味しかった。刺し身も流石というべきだけど、外食経験少ないので値段が適正かどうかわからなかった。よく店のレビューとかで文句言ってる人いるけど、自分は味覚に自信がないので「この程度の味でこの値段か」みたいな感覚がわからない。ただ1680円は観光地だからってちょっと甘えてるなとは言いたい。まぁそういうのも含めて旅行だと割り切ってるフシはあるのでokだけど。

ここらへんからすごく暑くなってきて、伊勢神宮行くかどうか迷った。暑いし、やりたいことがおみくじぐらいだからまぁいいかってことで保留。またの機会に案件かな。そのまま帰って風呂入ってビール飲んで睡眠。帰って汗流して風呂までのセットが旅だだと確信!!家に帰るまでが遠足。汗流してビールまでが旅。

00の4dx見に行った

見に行ったのは2週間以上前、とりあえずメモ代わり。4dx見たの初めてでちょっと驚いたので……

まず何よりも映画見てる最中にずっと「落ち着いて見せてくれ!!!」と思ってしまった。
まじで映画を見てるというよりアトラクション。ストーリには1ミリも集中できない。
ビームライフル打つたびに後ろから風が来るのやめてほしかった、あと爆発シーンにあわせて煙がスクリーン横から出てくるのなんかチープすぎて笑った。刹那が目覚めて出撃からは本当に揺れるわ、風出てくるわ、マッサージみたく背中押してくるしもう訳わかんねぇというのが正直なところ。

挿入歌の「もう何も怖くない、怖くない」が流れるシーンは映画を見るたびにうるっとくるのだけど、今回はそういうシーンでもガッツリ揺らしてくるので萎えてしまった。EDの最中と最後のシーンで揺らしてきたら本当にキレてたけど、流石にそれはなかったので良かった。

『半分の月がのぼる空』を読みなおそう……と思ったけど駄目だった

描写がキモい。里香を描く描写に何というかおっさんが少女を舐め回してるような雰囲気というか下品さというかがあって、絶対に高校生視点じゃねぇーと思ってしまった。うまく言えないけどキモち悪さを感じてしまった。
あと、フィクションがすぎる、これはねぇと。甘酸っぱさもオタクの妄想が過ぎてこれはねぇと。クサいとかじゃなくてキモい。嫌い。一度気になるともう耐えられない。
ミサワじゃないけど、違うベクトルだけどキモい。キモいポエムが多すぎる。
筆者が頑張ってるのが伝わってくるのは本当に辛い。


この作品を初めて読んだのが確か中学1年のころだった。当時はラノベなんてまったく知らなかったうえに、読んでいた小説のジャンルもミステリーかSFそれも、ゴリゴリの海外翻訳ものばかりであった。そんなわけで甘酸っぱい青春小説と呼ばれるジャンルの初めてが本作だった。

そういう背景だったので、自分の中では思い出補正とかが相まってこの作品がかなり美化されていた。

残念

千と千尋の神隠し

映画館で再上演が行われていることを知り、授業サボって映画見に行ったのが7月の半ば。一部の場面を金曜ロードショーで少し見たことがある程度だった自分は、なんとなく教科書的で堅苦しい作品のイメージがあった。期待値は正直そこまで高くなく、まぁ狭い大学寮にいても腐るだけだしちょっと映画見てみるかと思った程度。

 

しかし、これが最高に良かった。

 

当時はオンライン授業で、おまけに慶應にいた頃の単位が使えたのもあって時間だけを持て余していた。そのためアニメを片っ端から見ていたが、好きなアニメ自体がそこまで多くなかったこともあって段々とアニメが飽食気味になってきていた。そのような時期にこの作品を見たという背景が作品の評価にどれほど大きく働いたかは不明だが、新鮮な気分になったのは確かである。

 

一回目に見て一番心奪われたのは、人間からボイラー室のススにいたるまで登場しているキャラクターすべてがものすごく生き生きしていたことである。表情の変化や細かい動作が豊富でキャラクターが何を感じ何を思っているのかが手にとるように伝わってくる。余計な言葉や説明的なことなしに見せているのがとても良かった。

これはジブリ作品全般に言えることだが、本作では特に作中の雰囲気が最高にいい。なぜ、どのような理由で良いのかを今の自分の言語化能力で述べることは難しい。主人公の純真さや真っ直ぐさ、憎めないキャラクターしかいないこと、生き生きとした描写、音楽とかまぁそういったもろもろすべての要素がこの独特の素晴らしい雰囲気を作り出してるみたいな適当な説明しかできない。

 

結局一回目の視聴後、文字通りにこの作品に心奪われてしまい、その後今日に至るまで5回劇場に足を運んだ。そしてこれを書いているいるのが 2020/08/17 だが、翌日も行く予定である。

自分は作品はなるべく感性→理性という順番で見ることが多い。一回目純粋に作品を子供のように楽しんだあとで後にいろいろ考えて二回目以降を見るというものである。そしてこの定形に当てはめやすい作品を好む傾向にある。同じ時期に見た他のジブリ作品(風の谷のナウシカもののけ姫)なんかもまさにこの定形で作品を鑑賞したし、それがやりやすい作品だった。

 

何回見ても千尋が泣きながらおにぎりを食べるシーンはいろいろ想像して自分も泣きそうになる。その一方でエンディングに入る直前の最後のシーンでトンネルの先を見つめる千尋が何を考えているかを具体的に考察して言語化するのはまだ出来ない。おそらく何万という数の人がそのことについて考察したものをネット上で読むことは可能だが、なんと言えばいいか自分のなかで定まっていない解釈などをネット上で見たくないのである、汚染(表現悪いが)されてしまうような気がして(これについては色々思うことがあるので別に書く)。

他のシーンではキャラクターの動きによって感情が手に取るようにわかるが、最後のシーンだけはそれが出来ない。辛い。こういうことがあると、国語の大切さとか作品の鑑賞の仕方とか、そもそもの頭の出来とかいろいろ余計なことまで考えてしまう。

 

でもまぁ焦ってはいないので気長にいろいろ考えようと思うし、それが楽しい。

『ボトルネック』読み直した

 

 『ボトルネック』について話す前に、私と米澤穂信の遍歴について軽く語ります。

 米澤穂信の作品は中学から高校にかけてだいぶ読み漁りました。どの作品も割と好きでしたが一番印象的だったのは『さよなら妖精』です。この作品は謎解き的な観点からはあまり評価できる作品ではありませんが、雰囲気と登場人物の一人である大刀洗がとても印象的だったことを覚えています。大刀洗はその後他の作品で活躍していますしそれらの作品もとても面白いのですが、本作では東欧から来た少女と大刀洗との対比的な関係が素晴らしかったことを覚えています。

 

 本作『ボトルネック』を読みなおして、私が一番強く感じたことは、「俺もこんな感じの本を書きてぇ!!」でした。この作品は米澤氏のデビュー作だそうで、文章に少し粗があったり、主人公の行動がおかしいと感じることも少なくありませんでした。情景描写に一貫性がないのも気になりました。しかし、主人公の置かれている状況の絶望感と作品の雰囲気の描き方が素晴らしく作用していました。終わり方も予想はできるが衝撃的ですべてをもっていかれました。途中ダレるかもしれませんが、最後まで読んだあとの読後の後味の悪さはなかなかです。

 このような小説書けるようになりたいなぁ~なんて……