2020/11/22の日記

 久々に日記をつけます。今回の決意は固いのでしっかりと続けていきたいけど、あんまり気負ってもどうせ駄目だからまぁ気軽に書いていこうかなと。

 

 日記を書こうと思って一日を振り返ってみたら、驚くほど何もしてませんでした。そもそも一日どころの騒ぎじゃないと、最近の(というかここ数ヶ月)の自分の生活態度を考えてみると、まったく文化的な生活を送れていないことに気づいてしまいました。文化的な生活というと曖昧だしなんなら法学者が何十年も議論しそうな言葉ですけど、ここでの意味は①思考を巡らせている。②コンテンツに触れている。➂イベントに参加、もしくは発生させる。④学生的行動を取る。 の4つの要素をちゃんとこなしている生活のことです。
 まず①について、最近、自分は意識しないと思考を巡らせることができない人間だということに気づきました。もちろん普段生活をする中で無意識に頭を働かせたりすることは誰しもあると思うのですが、そういう表面的なものでなく例えば気になったものを考えて分析してみたり、②,④に関連して、作品の考察をしたり学問をしたりするということがめっきり減ってしまいました。なんというかとても頭が悪くなったような気がします。やっぱり頭使うのって大多数の人間にとっては面倒じゃないですか。自分ももちろん同じで、頭を使うにはきっかけが必要なのです。ところがそれがめっきり減ってしまっている。基本的に今の生活はボケーッとTwitter見てるか、やったことのないゲームの配信を見てるか(昔は心の底で配信を見ている人たちをバカにしていましたが、最近始めてしまいました)、World of Tanks(wot) というゲームをやってるだけなんですよね。wotが頭を使うタイプのゲームならともかく、そうではないので本当に頭を使っていない。
 次に②について、最近数カ月ぶりに読書をしたら登場人物を自分で想像するという当たり前のことに対してすら新鮮味を感じてしまったほどです。アニメすら見てない、映画もゲームも全然やってません。
 ➂は本当にそのままです。コロナ&友達いない引きこもり&金欠なのでイベントがありません。なぜなのかはよくわかりません。
 ④勉強全くしてません。一応医学部生なのにこれは非常にまずいです。あまりに勉強しなさすぎて自分が医学部の学生であることを忘れてしまいそうになります。留年は絶対にまずいのですが組織学は再試験になりました。落としたら留年なのでそろそろ勉強しなくちゃいけない。はぁ。

 

 何を書いていたか忘れてしましましたが、まぁ日記なんてこんなものでいいでしょう。自分は型にこだわって自滅することが多々あるので、適当すぎかなと思うくらいのほうがいいのかも。ああそうだ自分が文化的生活を遅れていないという話だ。どうすればいいのか……なんか改めて見るとうつの前兆みたいで嫌だな。とりあえずコンテンツには触れていきたい、イベントはまぁ無理だろ、勉強はしなくちゃ留年、バイトはしてもいいけど今は時期が悪いので保留。まぁだからコンテンツ触れていくかぁ。でもコンテンツって触れたいから触れるのであって触れようと思って触れるものじゃないよな。

 

まいっか。

おわり。

『LGBTを読みとく クィア・スタディーズ入門』

著者に対してここまで信頼感が芽生えた新書は本当に久しぶりな気がする。著者の知に対する誠実さ、また正しい知識が必要でありそれを提供することにひたむきな態度が伝わる。怒りではなく、あくまで事実のみに基づいている点もそうである。

差別や偏見に対して最も必要なのは知識であるというのは、本当にそのとおりだと感じた。「悪い人だから」、「ろくでもない人だから」というのはまぁあるかも知れないが、やっぱり、性的マイノリティのことを知らないけど、差別はしないし「同情」してるよみたいなスタンスの人が多いと思う。「普通」の押し付けについては自分もよく感じていた。一章でこの手の人々を手厳しく批判している様子を見て、もしやと思ったら、素晴らしい本だった。

性自認性的指向。言葉は聞いたことがあったが、改めて定義を知りトランスジェンダー(広義)と同性愛者が異なることも恥ずかしながら初めて知った。「セックスが女性で性自認が男性であるトランスセクシャルの人の性愛の対象が男性であった場合、その人はトランスジェンダーであり同性愛者である」。

はじめに「良心」でなく知識が必要であると述べ、語の説明をし、歴史的経緯を述べ、その過程で成立したクィアスタディーズの基本を述べ、その考えを応用するといった感じ。最後にこの本を基礎として、それに基づいて各論について詳しい書籍を紹介する。これは初学者必読な気がする。

今期ベスト新書かな

なぐり書き

久々に千と千尋の神隠し見てきたのでそれについて

 

ハクは多分もとの世界に戻れない気がする
環境問題はテーマの一つだろうな、くされ神含めて。ハクの川の埋め立て
でもやっぱり、最後に千尋がなに考えてるかは確信が持てない。ハクのこととか、両親が覚えてないこととか、夢みたいだったと思ってることか、でも髪留めだけは本物だとか、神隠しとか。周りから信じてもらえないかもってことをもう分かってて、それでもやっぱり懐かしさとか哀しさとか感じてるのかなぁ。不思議なことだったなぁ……っていう感じとか。例え悪いかもだけど修学旅行から帰ってきた日、久しぶりに家に帰ってきたときのあの呆然というか、興奮冷めやらぬというと少し違うけど、まだ実感がない(千尋の場合はなおさら)みたいなとことかなのなか?
あと、やっぱり感情が伝わってくるのがいい。人間の形してないキャラクター含めてな。カオナシ、スス、湯婆の部屋にいる顔だけのやつとか、何考えてるかが手に取るようにわかる。子供にもおすすめできる。本当に老若男女楽しめる

ユートロニカのこちら側

これも読みながら思ったことを殴り書きしたメモから

例えば、自分の街がハリケーンでめちゃくちゃになったときなんて書く?
「黄色い作業着を着た男たちが数か所でショベルカーを動かしているのがわかった。彼らが土を埋めているのか、あるいは掘り起こしているの、リードにはわからなかった。わかったのは、自分が18年間過ごした村が、永遠に失われてしまったという事実だけだった」おしゃれー

比喩が意味をなしてない。「群れからはぐれた小鳥のように、相手が目覚めるのを静かに待っている」って何???何か元ネタでもあるの?全くわからん。いや好意的に解釈しても詭弁の域を超えないのでは?

キザったくて、まどろっこしくて、結局何言ってるか全くわからないような空回りした比喩ばっかだけど、それがカチッとハマったときの快感ったらないな。「喜びは大げさに戸を叩いて玄関から入ってくるが、悲しみは孤独や絶望のように裏口から静かに忍び込んでくる。「やあ」と肩を叩かれたときにはもう遅い」

いやでも評価に値するか?これは賛否両論になりそう

この人SFじゃなくてもっと意味不明な文章書いてほしい。この本で一番良かった部分は、トイレの個室だけを誰も監視されない真の自分パーソナルスペースだと考えてる男が大便しながら4コマ漫画を書く場面の男の回想だよ。間違いない。
この人はそういう訳のわからないことをよくわからないやつが行うということを淡々と書いていてほしい

天才には天才を書いてほしい

第四章本当に面白い!!文章も良かった。オチはありきたりではあるけど、、、

章ごとの落差が大きすぎる。手のかけ方も多分違うんだろうなと容易に想像できる
5章とか文章適当すぎない?それとも主人公に合わせてわざとそうしてるの?慶応って書くのやめろや、慶應大学ってかけや、早稲田みたく統一しろや

 

確信した、これ絶対にわざとでは?わざとな気がしてきた。序盤のアメリケンな雰囲気の作品では、ウィットに飛んでるような雰囲気を醸し出してるけど、逆にB級作品みたいになってる。便所で4コママンガ書いてる話では男に合わせてきちんとした文章を。その次の大学生の話では慶應と慶応を何故か統一しない適当さ。文章の感じと短編の雰囲気の親和性が極めて高い。まぁ偶然に対する、オタクのキモい意味づけの可能性は十分にあって、なんなら作者が忙しかったから短編書いている時期が全く異なってたことに由来するみたいなことかもしれないけど、俺はこう解釈する。

6章は印象的だった。この作品のテーマをえぐり出した。
結局人間の意識とは何か?自由とは何か?ディストピアユートピアの違いって何、人はどう思ってるの?っていう問題に終始していた。
世界観を提示して、そこでイベントが起こるタイプ。世界観を提示して、そこと現在とのギャップやその世界が内在する問題、人々の価値観、それによって起こる様々な苦悩を描く作品。ディックなんかは後者だけど、世間で好まれるのは前者。この作品はもろに後者で、後者は哲学的でもあるから難しい。俺はディストピアものとよばれるジャンルが好きなんだが、前者は当たり外れが多いから一概に言えんが後者のほうがいいかもな。

なんだっけ、Twitterで少し前にバズってた「車のない時代では、車を発明することより渋滞を想像できる方がすごい」みたいな言説。まさにそのとおりで、後者のほうが圧倒的に難しい。

1章 イントロ
2,3章 人間的ドラマ
4,5章 本領発揮
6章 まとめ

 

これは久々の当たり。かなり好きなのでおそらく読み返すとおもわれる。

読んだ本とか②

『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』 山鳥

 残念な本。本当にちくま新書?いや新書の出版社ごとの特徴別に詳しくないけど、ブルーバックスの中高生向けにわかりやすく書かれた本だと思った。でも中高生向けっていうタイプの新書読む中高生は学習意欲高くて、他じゃ物足りないからそういう本を読んでる部分はあると思うので、この子供向けみたいな文体は裏切りだな。

 冗長。全く詳しくない。例えるなら大学の一般教養過程の科目をさらに中学生に向けて授業したものをもとに書いてる感じ。

 略せばいいのにっていう例えを延々とやってたりするの見ると、あぁこういう教員いるなぁって、中学生相手にしてんのかな?

 例えってなんのためにあるのか、ということについてもう一度考えるきっかけを与えるだろう

 著者が1939年生まれと聞いて納得。高齢になりすぎると一般向けの文章が中学生むけ、もしくは高齢者向けになりがちなので、これからは新書読むときに気をつけよう。著者の年齢が高すぎると買う価値なし。

 わかる=秩序づけ=エントロピーの減少=生命活動(シュレディンガー)の部分だけ面白かったけど本筋とはあんまり関係ない。

 

LGBTを読み解く クィアスタディーズ入門』森山至貴

 新書ってこうあるべきだなっていう見本みたいな本。こういう形の新書をこれからも読み進めていく。
①論の構成がしっかりしている
②本の全体像がしっかりしており、わかりやすい
③目的が明確である。
④初学者の学習の第一歩となるように配慮されている
⑤最後に文献の紹介
⑥事実を重要視している
➆比喩が的確、いらないことは書いてない、簡潔

 内容についてはあとで詳しくまとめたい。自分のために。これは良書。

読んだ本とか

『凡人として生きるということ』押井守

 「社会」についていろいろ語ってるけど、「社会」が何か全く知らないしわかってないので、へぇーまぁそういうことも言えるかもな程度の感想しか持てない。
 文明化についてはそのとおりかもと思った。性の商品化は文明化の一部。この流れが海外ではひどく嫌われていて、たぶんそのうちに日本も結局変わっていくとは思った。
 2008初版らしいけど、もう古い!!こういう社会系の本は10年前の考えとか価値観ですら、うわーって思うことがある。
 まぁ結論としては、こういう本読むならもうちょっとちゃんと自分が知っていて尊敬できる人のほうが良かった。それかもっと一つノーマに対して掘り下げてる本。もしくはちゃんと分析している本。何かの分野の有名人が文化人的にいろいろなことを糾弾する。みたいなのやっぱり駄目だな。映画監督でもそうだ

 

アスペルガー症候群岡田尊司

 自分はアスペルガーじゃないのでこの本読んでて、これ俺じゃん!!!ってなることはないし、アスペルガーの知り合いもそんなに多くないので、こういう人もまぁいるよねくらいの感覚になってしまった。
 まぁ勉強にはなったがTHE新書って感じ。物足りなさがある人はもっと専門的な本か論文読んでねって感じ。
 自分は結構物足りなさを感じてしまった。とりあえずいろいろ世間で言われているけど医学界ではこんなです、みたいなのをまとめてみましたといった装い。検索候補に出てくるあのくだらない「〇〇について調べてみました」というタイトルのブログの専門的なバージョンと言ったところ。
以下の2点は面白かった
自閉症の患者の脳の扁桃体と呼ばれる部位が小さいときに異常に大きくて、神経細胞がかなり多い。それが成人機になると周りに比べて相対的に小さくなる。これは神経細胞が詰まりすぎていてネットワークの発達が悪くてうまく働かずに、萎縮するためではと?
扁桃体は感情や社会性に関係がある部位

アスペルガーとか自閉症は目の写真を見せても扁桃体が働いてない(一般人は働く)むしろ内側前頭葉が働いた。(内側前頭葉はものを認識するときに働く)

アスペルガーとか自閉症は目を社会性な情報としてでなく、単なる図として処理してることを推測される

 

『女たちのサバイバル作戦』上野千鶴子

 面倒なのでメモ帳に書いてあったことを本当にそのまま書く。

 書いてあることに詳しくないので、へぇそうなのかという感じ。反対側からの意見も仕入れたほうがいいのだろうけど、まぁこの本読んだのはフェミニズムについて知るためだったのでそこはいいや。
 怒るってエネルギーいるけどやっぱり怒ることは必要だと感じた。それを先人切ってやってくれてる人には感謝しなといけないのかもしれない。

 フェミニズム論争が個人の問題に帰着しすぎてるのネット見てて思った。もっとシステム的なこととかを俯瞰してみたかったので良かった。

 極端な思想の持ち主は思い込みが強いなぁとよくよく感じるけど、まぁそういう人たちもやっぱり必要だなと感じた。

 アメリカとかでもフェミニズム叩きはかなり凄かったらしくて、90年代ね。日本だと20年近く遅れてるわけだけど、フェミニズム叩きが始まったのはフェミニズムが力をつけたからだよな。そう考えると、今アメリカとかが戦ってるのってもちろんフェミニズムもそうだけど性的マイノリティの戦いのほうが過激なわけ。そう考えると次にくるのは性的マイノリティーとの戦いだと思うよ。欧米が性的マイノリティーの権利をどんどん増やしていって、外圧で日本もどうにかしなくちゃいけなくなって、そろそろどうにかしませんかって時に、上野千鶴子とかじゃないけどネット上で「叩きやすい」性的マイノリティが現れ始めてからが勝負だと思うんだよね。これも20年遅れで起きるんじゃないかな?

 今の日本は声が小さすぎて戦いになってないから。フェミニズムは戦いになってるだけ進展が大きいってことだし。

 controversial な問題についての本を読んだりする時ってさ、新しい考え方を知るために読むっていうより、自分の中にある考えを補強するために読むって言う色合いのほうが強いかもしれないなぁ〜って。

 システム的な、つまりマクロな観点でいうとやっぱり声を上げることが大切。でも個人の観点で行くと企業に期待せず自分の場所をキャリア以外に持つことが大切。それら育児もふくめその他のことも。もうジャパニーズトラディショナルカンパニーじゃあ無理だから……あきらめて別の居場所を作れと。

 沈没していく日本社会でのサバイブ……あとがきが素晴らしい。新書読むの決めるのあとがきからがいいかな。

 少し古いけど(いうて7年前)、データを用いて歴史を振り返る様は正直かなり勉強になった。偏っているというのも含めて勉強になった。偏った意見を知るということも勉強になるなぁと。

文学の授業

オンライン形式で一応双方性を確保するみたいな名目で毎回授業のリアクションを書かせられるうえに、大学のLMS上に感想を書くシステムなので他の人が何を書いているかがわかるのだが、みんなたくさんの決意してて笑う。バカにしてるわけじゃなくて驚いた。うちの大学の近辺には決意で文章を締める宗教でもあるのか?

で、文学の授業。「物語を深く読んでみたいです」、とか「これからは大人の読み方をしたいです」とか、「楽しい、面白い以外の読み方をしてみたいです」とか言ってる人ばかりでビビった。作品を楽しむって、そういう行為を楽しむことじゃないの?いや、作品の楽しみ方なんて人それぞれだろうけど、自分は強くそう思ってる。作品の構造とか登場人物の深い心理とか、アニメだったら背景とかアニメーションとかの構造。文章だったら、地の文を深く考えたり。そういうのを現実の世界とか自分と対比させたり、比べたりして考えたりするのが物語を楽しむってことなのに、そんなことしたことなくて、これからは頑張りますみたいなアホみたいな決意してる人しかいないの悲しい。
ここまですごい偉そうに言って、じゃあお前できてるのかって言うと、まぁ批評家というかネットのブログでガチで長文書いてたりする人には敵わないけど、でもそういう行為を楽しんではいる。
自分の文章力のなさと見識の低さゆえの見逃しとかに、嫌になることは多いけど……

あと個人的に気に食わなかったのは最終レポートの書き方について。おそらく学生のレベルを考慮して+新入生だからっていうことだろうが、「物語の考察をするのに自分の言葉を使わずに、ネットを駆使してこれだと思った言説を拾って繋ぎ合わせろ」、「それに自分の言葉で脚色しろと」とかいう書き方を勧めてきたのがやるせなかった。右も左も分からない新入生の作品考察なんて読めたものじゃないだろうし、文学部がうちの大学に存在しないしから、所詮作品の考察ができるようにというより、そういう楽しみを紹介するレベルだったといえばそれまでだが、なんか違くない?って感じた。

個人的には作品の考察は自分で確固たるものが言語化できるまで、他の人の言説を絶対に読みたくないと思ってる。前にも書いたが、他の人の考えに影響されてしまって自分が本当にどう感じていたかがブレるのが嫌だ。